注册 登录  
 加关注
   显示下一条  |  关闭
温馨提示!由于新浪微博认证机制调整,您的新浪微博帐号绑定已过期,请重新绑定!立即重新绑定新浪微博》  |  关闭

成功日语--学习日语走向幸福人生

みんなで幸せな人生を歩もう

 
 
 

日志

 
 
关于我

我们在大阪和上海有公司,在日本和国内为大家提供教育咨询、日本投资咨询、商务考察、养老项目策划、建设及管理、人才培训等服务。

网易考拉推荐

 清華大学特別講義 “日本の高齢者コミュニテイー”  

2008-03-01 11:17:27|  分类: 同声传译练习 |  标签: |举报 |字号 订阅

  下载LOFTER 我的照片书  |

 

                   2008/3/4  村山宏治

 

§1 自己紹介

 ただ今ご紹介いただきました村山です。周先生のお招きで北京にやってきました。今日は私の専門である高齢者コミュニテイー、英語で言うCCRCについてお話ししたいと思います。私は京都大学で建築工学を勉強したものですが、建築に進む前には哲学と歴史に興味を持ち、「人はどのように生きるべきか」とか「社会はどうあるべきか」などについて色々考えているうち、私の関心は徐々に“理想の共同体のあり方”という問題に導かれてゆきました。ですから、私が建築を学ぶようになった理由としては、生活の糧を稼ぐという現実的な目的の他に、“人間が楽しく共に生きるにはどうしたらよいのか”、又“それを可能とする物理的環境はいかなるものでなければならぬか”ということでした。

 大学を出た後私は或る大手の建設会社に就職し、4年ほど建築設計の仕事に従事いたしました。1970年代初頭の日本はちょうど今の中国と同じように経済成長が著しい時代で、毎年膨大な数の若者たちが所得倍増政策の波に乗って地方の農村地帯から東京、大阪といった大都市に移り住んだ時代でした。その頃、彼ら若者たちが一番必要としていたものは住宅とりわけ集合住宅でして、当然にも私の仕事の中心は集合住宅(日本ではこれをマンションといいます)の設計ということになりました。その頃、会社が私に求めた仕事は、限られた土地の上に法規上許されるギリギリの建物を設計し、全面積に占める住居部分の割合(レンタビリテイーといいます)を最大にするというものでした。屋外に十分なオープンスペースを確保したり、廊下、階段、エレベーター以外の共用部分を作ったりすることは、販売利益の減少をもたらすため決して認められませんでした。

 

§2 高齢者コミュニテイーへの夢

 この様な日常労働を続けながらも、その一方で私は家内、子供と一緒に横浜市内の便利な場所にあった或るマンションの一室に住み、核家族生活を楽しんでおりましたが、当然のことにそこには心休まる自然も無ければ、豊かな人間関係も無く、共用施設といえば廊下、階段、エレベーターだけでした。こんな空間は都会で仕事をしている私たち大人にとっては大変便利なものには違いありませんでしたが、幼児にとっては地獄のような場所だったのでしょう。いつの間にか私の一才の長男は自閉症気味になり、コンクリートの壁に頭を打ち付けるようになってしまいました。

 しばらくすると、便利な都市住居である筈のマンションが地獄のようになるのは単に幼児だけでないということが解って来ました。その頃、私の家の隣には85歳くらいになる痴呆の老人が娘と猫と一緒に住んでおりましたが、娘が仕事に出てしまって寂しくなると孤独に耐え切れなくなって猫を連れて私の家のドアをたたくようになりました。通常、こんなことは許されるものではなく、直ぐにパトロールカーに連絡ということになるのですが、家内は親切で好奇心の強い人でしたので、ドアを開けこの汚らしい老人を室内に招き入れました。これが毎日のように続いているうち、予想もしない現象が起こりました。自閉症の長男と痴呆症の老人との間に奇妙なコミュニケーションが成立し、楽しく一緒に遊んでいるうち二人ともが次第に元気になっていったのです。

 この経験を通し私は二つのことを学びました。その一つは“このジャングルのような大都市にも老人という大勢の弱者が住み孤独に苦しんでいる”ということ、そしてもう一つは“この人たちや子供たちが共に遊び、語り合う共同利用施設が無ければならぬ”ということでした。でも、この発見は私の毎日の設計業務と完全に矛盾するものでした。何度と無くマンション事業主に掛け合い子供のための遊び場や、老人のための娯楽室などを提案しましたが、企業利潤という目的のため全て拒絶されました。こんなことから私は31歳のとき思い切って会社勤めを辞め、子供や老人が楽しく生活することのできるレンタビリテイー50%の集合住宅作りの準備を開始しました。

 

§3核家族化現象と共同体の解体

 先に述べた通り1970年代の日本においては、大量の若者世代が農村の3世代型家族を離れ都市流出してしまった結果、都市の核家族化現象と農村の共同体解体が急速に始まっておりました。若者たちばかりの豊かな都市生活と老人ばかりの貧しい農村生活とが激しく分極し、祖父母世代が孫世代の面倒を見ることも、子供世代が親世代を世話することもできなくなってしまい、老いた親世代はなんとか自分の力で自分を守らねばならなくなってしまったのです。今中国で起こっていることは丁度これと同じようなことでしょうから、恐らく皆さん方は直感的に理解してくださると思いますが、こんな状況で一番必要となるのが伝統的村落共同体に変わる人為的都市コミュニテイーの創出なのです。息子と猫のおばあさんの経験を通して私もこれを学ぶことができました。建築家として良質な集合住宅を作るだけでは不十分で、街の中に新しい三世代のコミュニテイー空間を生み出し、その中でお互い同士が助け合えるような豊かな人間関係を作り出さねばならぬということなのです。そして、この仕事は老人や子供といった社会的弱者を守るということが大前提とならねばなりません。これは単に私たちの倫理の問題ではなく、真のコミュニテイーが成立するための必須状件とも言えるからなのです。

 

§4 老人福祉財団の設立

 こんな夢のようなことを考えながらも、資金的裏づけの全く無い私の前に、幸運にも力強い味方が現れました。社会党の代議士として日本の社会福祉の基礎を作られた長谷川保という方と偶然お会いする機会があり、その時彼の語る“ホテルのような老人ホームを全国100ヶ所に作る”という計画と、私の考える“新しい共同体としての高齢者コミュニテイーの建設”というアイディアとが重複、補強し会ったのです。思想的背景や論理の構成は異なるとも、社会的ニードに対する使命感と未知なる物への情熱は二人に共通でした。

 1973年に私が準備した設立趣意書と仮想マスタープラン図面を使いながら長谷川先

生は民間各社に寄付募金のお願いを精力的に行うと同時に、政府に対しては公益法人設立認可の申請を行いました。この時の歌い文句は“自立と共生のコミュニテイー” “退職金で終身利用が可能で、年金だけで生活できる住環境”というもので、これが一般に受け入れられたのか、その年の暮れには多方面から日本円にして2.6億円の基金が寄せられ、政府も建設資金として年金フアンドを使うことと、組織認可の両方を認めてくれることになりました。組織の名前は日本老人福祉財団というもので、コミュニテイーの名前はゆうゆうの里と名づけました。

 

§5<ゆうゆうの里>の基本コンセプト

 当時日本でも“老人ホーム”と言えば狭くて汚い施設の代表のように思われていました。建設費と生活費の大部分は国と自治体とが負担し、受益者はいかなる要求もできず、ただ受身的に公の世話になるだけのもので、施設は家族や外部社会に対し完全に閉ざされているのが一般的でした。

これに対し私たちが提案した高齢者コミュニテイー<ゆうゆうの里>は全く別のものでした。まず住居施設は広く、綺麗で、事務所、食堂、集会室、浴室、家族室等の共用施設は全面積の半分以上を占め、友人、家族、近隣住民が来訪し入居者と共に共用施設を使うのも自由でした。居室のプライバシーは完全に守られておりますが、共用部分は外部に対して開かれていて大勢の人々が自由に出入りすることができるようになっているのです。建設費に対する政府による長期融資はあるものの、施設費、運営費とも補助金は一切無く、全ての分野に自己負担原則が貫かれているため、入居者は誰に遠慮することも無くプライドを持って生きてゆくことができるのです。

1976年に完成した伊豆高原ゆうゆうの里を例にとって建築概要及びその資金的背等について簡単にご説明します。

土地は70,000㎡、RC二階建て、住居戸数280戸、全面積23000㎡で、共用施設としては事務所、コミュニテイーセンター、診療所、ケアセンターより構成されております。

また、当初所要資金は40億円、15億円の長期借入金で、入居者が負担する入居一時金は当時平均1000万円~1500万円で、毎月の食費、管理費は50000円でした。

運営は事務管理部門7名、生活サービス部門3名、給食部門8名、医療部門6名、ケア部門10名の34名体制です。

 

§6社会的定着

 伊豆高原施設が完成したときには、日本中で大変大きな反響がありました。マスコミによる大々的報道があったことにもよりますが、何よりもこの企画そのものが65歳~75歳の元気なインテリ中間層のニードにぴったり符合したと言うことでした。運営開始以来もう30年以上たって、当初入居者のほとんどは既に亡くなっておられますが、今は又次の世代が楽しく使っております。30年間の資金移動は私が予想した状況と少しも変わらず、たいした利益も計上していないものの全くの健全経営です。

その後ゆうゆうの里は全国に作られ、住居総数2500戸、入居者人数3000名、職員人数450名と言うことになりました。なお、その後同種の施設は日本のあちらこちらに作られるようになり、現在は入居総数でおよそ20万戸、入居者人数で30万人の規模に上っております。

 

§7大連計画の概要

 

 

  评论这张
 
阅读(1645)| 评论(1)
推荐 转载

历史上的今天

评论

<#--最新日志,群博日志--> <#--推荐日志--> <#--引用记录--> <#--博主推荐--> <#--随机阅读--> <#--首页推荐--> <#--历史上的今天--> <#--被推荐日志--> <#--上一篇,下一篇--> <#-- 热度 --> <#-- 网易新闻广告 --> <#--右边模块结构--> <#--评论模块结构--> <#--引用模块结构--> <#--博主发起的投票-->
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

页脚

网易公司版权所有 ©1997-2017