注册 登录  
 加关注
   显示下一条  |  关闭
温馨提示!由于新浪微博认证机制调整,您的新浪微博帐号绑定已过期,请重新绑定!立即重新绑定新浪微博》  |  关闭

成功日语--学习日语走向幸福人生

みんなで幸せな人生を歩もう

 
 
 

日志

 
 
关于我

我们在大阪和上海有公司,在日本和国内为大家提供教育咨询、日本投资咨询、商务考察、养老项目策划、建设及管理、人才培训等服务。

网易考拉推荐

口译基础内容(翻译练习)この頃考えること  

2008-03-31 18:14:18|  分类: 同声传译练习 |  标签: |举报 |字号 订阅

  下载LOFTER 我的照片书  |

 

年をとったせいか、最近髭がだんだん白くなってきましたので、30年はやしていた髭をついに剃りました。ところが、知り合いに会っても誰もそのことに気がつきませんでした。一番ショックだったのは、いつも行っている床屋さんが気づかなかったことでした。一方、私の友人は70歳になったのを機に髭をのばしてみたそうですが、とても評判が悪かったそうです。

 

時々不思議に思うことがあります。このように私たちは「年をとった」のに、すべてのことを昨日の事のように思ってしまう。30年前と今とでは、実際には同じはずはないのに、同じ常識でものを考えてしまうのです。さらに、もっと昔の50年前、100年前の事も今の常識で考えてしまう。私たちは、このように昔からずっとこんなもんだったと思いがちです

 

 

 私のおばあさんの時代(明治維新の直後に生まれた人たちですが)と今ではものすごい変化があったわけです。たとえば、この時代の人達には自分の人生を選ぶ自由はありませんでした。私のおばあさんは新潟の地主の家に生まれましたが、女は勉強する必要は無いと言われて学校へ行かせてもらえませんでした。14歳で結婚しましたが、結婚の日まで相手を知らなかったそうです。私の父方のおばあさんも新潟で生まれ新潟から出ることなく一生を終わっています。

 

 では次の世代はどうかというと、私の母は父親が早く亡くなって家が傾いてしまったため、勉強をしたかったのですがやらせてもらえませんでした。16歳くらいで助産婦の免許をとり、上京して女子医大で勉強を続けました。私の父も新潟で生まれ、上京しました。両親は、見合いで結婚をしましたが、その頃の見合いは親戚どうしが話をもちかけて、断ろうと思えば断れましたから、強制的に結婚させられるというものではなかった、つまりそのくらいの変化があったということです。

 

  私は、男の兄弟が3人いますけれども、何をやるのも自由でした。私の父は、自分がやりたくてもできなかった勉強を、私たちには「やりたいと思えばやらせてあげる」と言い、兄2人は大学まで行きました。母は、自分の父親が医者だったせいもあり、2人の兄に医者になるように薦めましたが、薦められるとやりたくなくなるのか、兄達は医者にはなりませんでした。末っ子の私にはお金の都合もあったでしょうが、「おっちょこちょいのおまえが医者になったら、私は夜も眠れなくなってしまう。おまえだけは医者になるな」と母は言い、私は軍隊の幼年学校(そこは今の中学2年生くらいの子どもから行くところで、給料が貰えました)に行きました。

 

 戦争が終わり戻ってきた私に、母は今度は「医者になれ」と言うので、どうしてか聞くと「戦争が終わり価値観が変わったから、やっても大丈夫だ」と言いました。担任の先生も「おまえはやりたい勉強は一生懸命やるが、そうでないものはぜんぜんやらないので成績は悪い。けれど、まぐれというのもあるからやってみなさい」と言いました。今ではこんないいかげんな指導は考えられませんね。

 

 ところが、他のところはみんな落ちたのに医学部だけ合格してしまいました。まぐれがあったのです。私は本当は医学部がいやで、作家になりたかったのですが、スポンサーの母親が「やりたいことがあれば医学部を卒業してからやればいい、浪人はさせない」と言いました。私も「そうだな、やりたいことは卒業してからでもできるし医者兼作家という人もいるし…」と思い医学部へ行きました。

 

 フランス語をよく勉強しましたので、商社に入社すれば外国に行けるのでは、と考え面接に行ってみましたが、反対に「医者になれ」と説得されてしまいました。そういう訳で、結局は卒業したら医者にならなければなりませんでした。私は受け持ちの山口先生に「ひどいやぶ医者にしかなれそうにないので、医者になりたくない」と相談しました。

 

 すると、先生は「やぶ医者でいいのだ。やぶ医者の極意を授けてあげよう。患者を見たら、なに病かを診断しようと思うな。患者には3種類しかいないのだ。「放っておいたら死ぬのと、放っておいても治ってしまうのと、放っておいても治りもしない死にもしない」この3種類しかいない。3種類の見分けがつけば大丈夫。放っておいたら死にそうなのは、自分で診ないで、偉い先生のところへ送ってしまえ。これはとても大切なことで、偉い先生というのは、難しくて放っておくと死にそうな人を診るためにいるのだから、送るのは当然だ。そのかわり、偉い先生のところに、腹下しだとか、食べ過ぎだとか、飲みすぎだとか、かぜひきだとか、そういう放っておいても死なないような人が行って先生の仕事の邪魔をしないようにすることが、やぶ医者の大切な仕事なのだ。」とおっしゃいました。「わかりました。しかし、放っておいても治りもしない、死にもしないのはどうしたらいいのでしょうか。」「放っとけ、治らなくても心配するな。その人が何遍も通ってくるから、おまえの生活が成り立つと思え」そう言われ、放っておいて治ることも少ないけれども、死ぬことも少ない、精神科医になりました。

 

それから40年が経ちました。時代は変わり、産婦人科や、小児科を選んだ同級生たちは、出産も子どもも減り、今では大変です。医者だけではなく、幼稚園も政治家も、鎌倉市も子どもが減って、騒ぐようになってきました。こうやってみると、ほんのわずかの間に人間の社会は変わったわけです。変わったのだから教育に関しても変えていかなければいけないのですけれども、教育の方はあまり考慮をしていないですね。

 

 昔から子どもには「ああなってもらいたい、こうなってもらいたい」と、私たちが望むのはだいたいが出世主義みたいなもので、子どもを「何とかして成功させたい」などということを頭において教育をする。そのような傾向がずっと続いているわけです。「子どもを中心にして考えて見ることを一度くらいやればいいのにな」と私は思います。

 

 私自身は、自分が子どもを育て、その子どもがもう40歳近い年齢で、孫も6人います。幼稚園に行っている子もいます。私は自分の子供時代を見て、我が子の子供時代を見て、そして今、孫の子供時代を見ているわけです。どのように変わってきたか見てみますと、まず私の子供時代、大正大震災で私の両親たちは焼け出され、東京郊外の借家を借りました。ちょうどその頃、震災で焼け出された人達のために建てられた安普請の借家がたくさん東京郊外に建てられました。その1つに私の両親は住んでいました。私はそこで生まれ、小学校に上がりました。50人から60人位のクラスでしたが、幼稚園から小学校に入学した人は、4、5%でした。その人達はちょっと見ただけでも私たちと違い、とてもきれいでした。私たちは、というと洟を垂らしてそれを袖で拭いたりして、きたならしい子どもでした。

 

 さて、私の子供たちはどうだったかというと、みんな幼稚園に行き、昔のお坊ちゃんお嬢ちゃんのように育ち、きたならしい子どもは一人もいなかったし、孫にも一人もいません。

 

 ところが、今、何が騒がれているかといえば、例えば「アトピー」です。いろいろな説がありますので、特別に一つ取り上げるわけにはいかないでしょうけれども、その中に、清潔にしたことが原因だという人もいます。不潔に生活していた人はアトピーにならないと言うのです。

 

 後進国の子供たちをみるとアトピーは全然いない。なぜか。これは有名な免疫学者の説ですが、「口の周り、鼻の周りこの辺を汚くしていると、そこからばい菌が入ってくる。きれいにしておくと、免疫の機構が十分に作られない。だから子供時代、胸腺(大人になると無くなってしまうものですが)が、あるうちは汚くしておいた方がいいのだ。」というのです。

 

 また、藤田さんという人は「笑う回虫」という本のなかで「日本人が、一生懸命回虫を追い出したのが原因だと思う。東南アジアの方に行くと、まだ9割の人が回虫を持っている。そこでは、アトピーの人は全然いないので、アトピーと回虫の卵は関係があるのではないか。なぜかというと、回虫は体にとっては「異物」で、人間の体は異物が入ってくると外へ出そうとする。ところが、回虫は外へ出されないように拒否反応を押さえる物質を出しているので、そのお陰でアレルギーも同時に防げるのではないか」と言っています。なんだかそんな気もしてくるでしょう。こうなってくると、「回虫を1、2匹体の中に飼ってみようか」という人も出てくるかもしれません。

 

 このように、私たちはみんな、子どもに対して「良いように」と思ってやってきたのですが、また、確かにいろんな子どもの病気も減り、子どもの死亡率も減って、少なく生んで丈夫に育てることが出来るようになったことは確かなのですが、同時に何か奪ってきたのではないかなという感じがします。

 

 私たちが子どもの頃、石をひっくり返して、ミミズや玉虫を見つけたり、ドブをさらってイトミミズを捕まえ洗って金魚のえさにしたりということを、子ども同士で教えあっていました。トンボやバッタの獲り方も自然に覚えました。危険な目にもたくさん遭いました。子供たちには勝手に遊んで勝手に何か発見する喜びがあったと思います。ですから、子どもたちに、「いっときでいいから、教えないで自分の力だけで自然の中で放してあげるというようなこともしたくれたらなぁ。そして、奪っていたものを子どもに取り戻させてあげたらなぁ。」ということを考えます。

 

 私はやぶ医者の極意とか言っていますが、名医ばっかりのほうがいいのではないか、と考えることも無いわけではありませんでした。しかし、そのように迷いながら生きているうちに、「アルコール中毒」というのを専門にするようになりました。

 

 当時、専門の病棟が日本で初めて久里浜に建ったのですが、アルコール中毒はみんなから嫌われていました。医者からも嫌われていましたので誰も行き手がありませんでした。事情があって私がそこへ行くことになったのですが、私も嫌でしたので、教授に「アル中の勉強はしてこなかったし、今まで診てきた患者も治った試しが無い」と言いました。教授は「大丈夫だ、アル中は俺にも治せない、治せないのは誰でも知っていることだから安心していい」というのです。

 

 それで仕方なしにそこへ行って「教授でも治せない病気なのだから私はもう何もしなくていい、何をやったって駄目なのなら、逃がしてやるのが一番いい」という事になりました。当時精神病院の患者さんたちは、皆鍵をかけて閉じ込めることになっていたのですが、「この病院は逃げられるよ。逃げていいよ。夜だって開いてるよ」と患者さんに教えました。

 

  ところが逃げないので「お金を持たせないから逃げないんだろう」というのでお金まで持たせました。当時の病院で、お金まで持たせたのは私のところが初めてでした。それでも患者は逃げなかったのです。いつまでも居られても困るので、3ヶ月以上は入院させないということにし、3ヶ月過ぎるとみんな出ていってもらうことにしました。すると、不思議なことに3ヶ月きちんと逃げ出さず居る人がほとんどでした。

 

 なかには、他の病院に5個所も入院させられ、5個所とも窓から退院したという人が、「生まれて初めて玄関から退院いたします」と挨拶して帰ったりしました。「なぜ、逃げなかったのか」と聞くと、「こんな良い病院は日本でここしかない。ここを逃げたら、また鍵のかかる病院にぶちこまれる。また入院するなら、ここがいいから逃げなかった。3ヶ月我慢すればいいのですから。」と言いました。

  

 また、東大教授に診てもらっても酒が止まらず私たちのところで治った人もいました。そこで理由を聞いてみると、「東大教授は偉い人なので、この人の言うとおりにすれば治ると思ったのだけれど、治らなかった。ここに来て初めてわかった。自分がしっかりしなくてはならない。先生の顔を見ているうちにそれがわかりました」と言いました。よっぽど私が頼りなく見えたのでしょう。そのとき、「患者が自分にあった医者を選ぶべきなのだ。」と私は思いました。患者によっては、東大教授が良い場合もあり、私が良い場合もあるのです。

 

教育も同じだと思います。病気でも一人一人診察して、一人一人にあった薬を処方をするように、それぞれの人にあった教育をすべきなのに、同じ教育を全員にして、平均をとり、それにあわない人がいると尻を叩くばかりだったのではないでしょうか。今の教育はずっとそれを推し進めて来て、今でもまだ続いています。

 

 一方、私たちがやっている仕事は何かというと、そのような子どもの育て方の中で何か間違っていたことがあって、それが人生を生きていく中で問題になったために私たちのところにやって来るということなのです。

 

 最近「EQが問題なのだ」とよく言われますが、今までは知識を詰め込む事ばかりを考えていました。しかし、人格的に成熟すること、つまり一人一人が一人前の大人になり、自分で自分の人生の責任がとれるようになっていくということが大切なのです。私たちのところに何か問題があってやってくる人達は、人のせいにする人が多いのです。その人達は自分で自分の責任がとれるようになって、治療に成功するとともに、他の人も認めてあげられるようになっていきます。

 

 国連保健機構の「精神的に健康というのは何を意味するのか」という定義があります。一つには「現代社会はいろんなストレスが多い。そのストレスでつぶれてしまうと健康とは言えない。その原因が自我が確立していないということである」とあり、もう一つには「他の人達を病気にしない」ということです。

 

 ところが、他の人を病気にしてしまう人がいるのです。いってみれば、お母さんが子どもを病気にしてしまうという場合があるわけです。子どもに「あれをしなさい。これをしなさい」と命令ばかりする。子どもは命令に慣れて「どうしたらいいの」とお母さんの顔だけしか見ない。いつも素直に命令を聞く子どもであり続ける。始めのうちは良いのです。

 

 しかし、自分で自分の人生を選ばなければならなくなると、何をしたらいいのかわからなくなってしまう人達がいるわけです。私たち精神科ではそういう人達の面倒をみています。そのため「今教育に携わる人達に考えていただきたい」と思うことがしばしばあります。

 

 アダルトチルドレンという言葉がありますが、この言葉の始まりは「アダルトチルドレン オブ アルコーリックペアレンツ」つまり「アルコール中毒の親に育てられて大人になれなかった子供たち」という意味で使われはじめた言葉でした。

 

 ケースワーカーや心理学者の人達がアルコール中毒の人達の家族を見ていると、どうも子どもに問題が起きている。一方では良い子に育つ場合もある。親を見てあんなにはなりたくないと思い、さらにアル中に対して怨念を持ち、あるいは治療に携わる医者や心理学者になったり、ケースワーカになったりする人達も多いのですが、他方では、親と同じようにアル中になってしまう人も多いのです。どちらの場合も心に傷を受けて大人になりきれていないのではないかということなのです。

 

 私たちが精神的な健康というものを考える時に、子どもが「どういう子どもに育っていくかということを考えねばならないような時代がやってきてしまったのだ」とわかっていただきたいのです。将来のために良い学校に入れなければとか、あの勉強をさせなければとか、早いうちにこれをやっておかなければとか、私たちはどうしても考えがちです。

 

 確かにそういう面もありますし、「小さいうちに音楽教育をやっておかないと音感はつかない」などと言われると焦ってしまうということもわかるのですが、同時に、もしかしたら「与えることは奪うことになっているのだ」ということを頭のどこかに覚えておいてもらいたいのです。

 

 私の子どもたちの話をしますと、子供たちはフレンチスクールに行っていましたが、とっても教え方の上手なある数学の先生と出会い、大嫌いだった数学が大好きになりました。子供たちはみんな数学が得意になり次女と四女は数学を専門にし、三女は医学部に行きました。

 

 次女はフランスで数学の学校に行き卒業し、教授にもなったのですが、ある時私に「数学など専門にしてしまって、間違ったなぁ」と洩らしました。そして「数学の分野で世界に貢献しようと思っても出来る人は限られている。数学の天才でなければ、数学を使って世界に貢献する事は出来ない。自分にはそういう才能が無いんだ、とわかった時、自分に出来るのは数学を教える先生になることだけ、それしか自分の人生の道が無くなっていた。他のものをもう少しやれればよかった。しかし、数学を教えるのが上手だったあの先生と出会った為に数学の世界がばら色に思えて、この道に進むようになってしまった。」と言いました。

 

 それから、しばらく「自分の人生で数学をどう使おうか」を考えて苦労をしていたようです。その後日本の数学史の研究をやってみようということになりましたが、そこへたどり着くにはさらに大学で勉強した以上の年月がかかったようです。

 

 こうやって見ると、「いい先生に出会い、数学の成績が上がったから良かった」と思っているのと、別の問題があるということです。人生には「人生の出会い」というものがあるのです。その人生の出会いで、本当は良かったかどうか考えてもいいのに、「成績が上がったから良かった」とか私たちは考えてしまいがちです。そのように単純に答えを出してしまいがちですけれども、世の中には「良いと思われているものでも、人生の問題が含まれている」ということを考えなければいけないのです。

 

 私自身は人生の途中で、「アルコール中毒(の専門の道)」の方に迷い込んでしまいましたけれども、このことを、今、私はけっして後悔はしていません。「人間の面白さを知ることの出来る仕事だったな」という感じがするのです。精神科というのは人生の落ちこぼれのような人達を集めて治療しているのですが、私はそういう人達に、とってもたくさんのことを教えてもらいました。

 

 ある時、患者さん(この人は自分を春日天皇であると称していた人でしたが)からボーナスをもらいました。紙に数字を書いてポケットに入れてくれるのですが、私には30万と書いてありました。看護婦さんには100万と書いてありましたので、「どうして医者の私は30万で、18歳の看護婦さんが100万なのか、逆さまではないのか」と聞いてみました。「先生、先生は私のために何をしてくださいましたか。」「私はあなたに高くてよく効く薬をあげているのですよ。それはとてもいい薬で他の患者さんにはよく効いていますよ。」「先生、薬は高ければ良い薬なのでしょうか。それに私には全然効きません。効いていれば今ごろもう退院しているはずです。」

 

 そうなのでした。その患者さんはもう30年も妄想が続いていて、そんな30年も続いている病気を治すなんてことはとうてい無理だったのです。それで、せめて病院の中で扱いやすい患者さんでいてくれるように薬を処方していたのでした。

 

そこで、私は聞いてみました。「それでは、看護婦さんはあなたになにをしてくれましたか。」「看護婦さんは、私が頭が痛い、とうなっていたときに氷枕を作ってきてくれました。高い熱がある時、食堂に行かなくてもいいよと食事を持ってきてくれました。そしてそのご飯を見て、熱がある時にこのご飯ではお腹をこわしてしまうだろうからと煮てきてくれました。」それを聞いて、私も「看護婦さんに100万円あげてくれ」と素直に言いました。

つまり、私たちの世の中にはたくさんの価値観があるわけです。しかし私たちは、学歴社会で育っていくときそのたくさんの価値観というものを忘れてしまっているのです。患者さんにとっては薬をたくさん出してくれる医者よりも、氷枕を持ってきてくれる看護婦さんの方がありがたいこともあるのです。そういうたくさんの価値観を子どもに取り戻させてあげて欲しいと思うのです。

 

小さい子どもに「世の中にはたくさんの価値観があるのよ」と教えるのは難しいですけれども、日常生活の中で子どもに接しながらそのことを感じさせるような何かの工夫のようなものを考えて欲しいと思いますし、「それもまた教育なのだ」というふうに考えていて欲しいですね。カリキュラムに沿って教育するということは一番簡単な事なのです。 

「自分がして欲しいことは何だろうか」あるいは、「自分が子どもの時にして欲しかった事は何だったろうか」、それを考えるだけでいいのです。そうすれば一人一人がみんな自分の価値観を思い出すことが出来るはずです。それから自分だったらどうして欲しいのか考えれば、そんなに難しいことではないのではないでしょうか。

 今までたくさんの人に一つの価値観を押し付けるような、そのような教育が明治以降ずっと続いて来ましたが、みなさんに「やはりこのへんが考え時ではないのかなぁ」と思って欲しいという話をしました。御静聴ありがとうございました。

  评论这张
 
阅读(642)| 评论(3)
推荐 转载

历史上的今天

评论

<#--最新日志,群博日志--> <#--推荐日志--> <#--引用记录--> <#--博主推荐--> <#--随机阅读--> <#--首页推荐--> <#--历史上的今天--> <#--被推荐日志--> <#--上一篇,下一篇--> <#-- 热度 --> <#-- 网易新闻广告 --> <#--右边模块结构--> <#--评论模块结构--> <#--引用模块结构--> <#--博主发起的投票-->
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

页脚

网易公司版权所有 ©1997-2017