注册 登录  
 加关注
   显示下一条  |  关闭
温馨提示!由于新浪微博认证机制调整,您的新浪微博帐号绑定已过期,请重新绑定!立即重新绑定新浪微博》  |  关闭

成功日语--学习日语走向幸福人生

みんなで幸せな人生を歩もう

 
 
 

日志

 
 
关于我

我们在大阪和上海有公司,在日本和国内为大家提供教育咨询、日本投资咨询、商务考察、养老项目策划、建设及管理、人才培训等服务。

网易考拉推荐

预习作业五一之后用 やさしい心とは何か  

2008-04-27 22:17:23|  分类: 同声传译练习 |  标签: |举报 |字号 订阅

  下载LOFTER 我的照片书  |

やさしい心とは何か

 

本日はみなさま方にお話をする機会を得て、大変嬉しく思います。私は1967年に始めて日本を訪問し、とても近代的な教育国家という印象を受けました。同時に、日本は古代から伝えられている伝統というもの、とくに神道ですね。そういったもののなかで、自然や神に対する尊敬の念を持っておられる、という印象を受けました。これらのことは大変素晴らしいことだと思います。私たちは近代科学の発展のおかげで、他のものに対する尊敬の念を失いがちである、という危機に瀕しています。他を大事にする神道的な考え方が失われつつある。それは非常に悲しいことではないでしょうか。そういうことを忘れずに、現代的な科学の発展に基づく、物質的な発達と共に、伝統として伝えられてきた良き部分を合わせていくことが、これからの日本人に求められることではないかと考えています。

 

 最近の日本人のなかには内なる価値観に以前より関心を持っている人が多くなってきたと聞いています。さらに仏教の概念、教義、そして仏教というものについての関心がより高まっている、と聞き大変嬉しく思います。若い人々が精神的なものへ関心を示すことこそ、本当に重要なことではないでしょうか。

  一方で若い世代の人々の自殺が多くなっているということを聞いて、とても憂うべき状態で非常に悲しいことです。

 

ここにお集まりの方のなかには私にはなにか特別な力があると期待している方もいるかもしれません。が、そんな考え方はナンセンスです。私は単に同じ一人の人間として、お話をさせていただくためにここに参りました。私は皆様となにも変わらない、一人の人間なのです。「なにか良きことを成せる」という可能性を持っていることも、皆様方となにも変わらないのです。愛、優しさや、思いやりを自分の心のなかに持てる、そういった心を益々高められるという意味におきましても、皆様方とはなんの変わりもありません。その逆に嫉妬心、怒り、妬みなど悪い感情、破壊的な感情を持っているのも皆様方と変わりません。人間に共通する素晴らしい価値観を通して、お話したいと思います。チベット人、日本人でもなく、仏教徒でもなくただ人間として話しますので聞いてください。

 

昔の人々は精神性というものを大事にしていました。精神性というのは宗教的な意味も含めて、非常に重要視されていました。19世紀から20世紀全般になると、物質的な発展のみがすべての人々の注目を集める時代だと思います。その一方で人間性と発展ということがどこかで置き去りにされてきた時代になったのではないでしょうか。テクノロジーの発展がもたらしてくれる効果というのは、私たちの生活のなかでもすぐに感じられ、私達の生活のなかですぐに目の当たりにすることができたのです。しかし、宗教に関する信心、あるいは精神性といったものをもたらしてくれるものは私達人間にある種の希望を、光を与えてくれるものであっても、実際に目に見えるものではありません。私達人間というのは宗教的な精神性、あるいは信心というよりも、技術や物質の発展に依存するようになり、そちらの方が注目を浴びてきた時代だと思います。

 

つまり私たちは医学的に満たされた状態にあっても、精神的にはなにかが欠けているのではないか、ということがわかりはじめました。私達の肉体的な幸せももちろん、精神的な幸せも大きく関係しているからなんです。昔は精神性が重要視されていましたが、20世紀までの時代においては非常に豊かな生活を享受できるようになりました。それでも私達人間の心は「幸せとはなんなのか?」という共通した疑問点が湧き上がってきたと思います。私達にはお金もあり、権力もあり、すべての状況が整っている。それでも私達は幸せではない。それは一体なぜなのか? もし物質的なものが100%の幸せをもたらしてくれるなら、このような状態は起きてなかったはずです。

 

医学的、物質的に満たされていても、精神的に満たされないと感じる人たちは、欠けた部分を求めるようになりました。物質的なもの以外に人間的な価値があるのではないか、と気がつき始めたのです。またある人たちは宗教に関心がなくても、やはりこの人生に人間として生まれてきた以上、人生に一体どのような意味があるのか考えるようになった人もいます。過去2、3世紀の間に私達にはさまざまな変化がありました。そしてひとつの体験を通して次の精神的なレベルにいき、また次のレベルへと移行していくのではないでしょうか。私達はそんな倫理的な危機のある時代に生きていいるのです。

 

今日、私達人間の生活がどうなったかというと、以前に比べてますます忙しくなって、未知なるものに目が行かない時代になっているのではないでしょうか。テレビの普及によって私達の目は外のもの、外見的なものに囚われているのではありませんか。両親はますます忙しくなって、子ども達と過ごす時間が異常に少なくなっているのではないでしょうか。つまり近代社会は非常に忙しい時代になっています。自分の周りのことは自分でなんとかして、他人の助けなど必要ないという考え方になっています。自分自身の小さい殻に入ってしまって、自分のことだけをなんとかしていけばいい、という考え方も出てきたような気がします。

 

 しかし、そのような考え方は十分ではないのです。私達は未知なるものに目を向けて、自分以外の大きな社会とか、大きなものに注意を払わなくてはいけない時代が来ているように思います。

 

すべての宗教に対する尊敬をもった上で、宗教を区別しない、そういったすべての宗教に共通したその土台の部分で、共通して強調されている部分を持ったモラルという意味で、私達は世俗的な倫理感をとらえているのではないでしょうか。一人ひとりが持っている個人の尊敬の念を忘れないようにすることが、倫理感の土台ではないでしょうか。単なる宗教を信心している人の土台だけでなく、全く信心していない人も共通して当てはまる、より広いパースを持った考え方になっているのではないでしょうか。

 

同じ世俗の倫理感というものを土台にして、すべての愛や慈悲を、あるいは許し、あるいはすべての者は兄弟姉妹であるという考え、こういった私達人間の持つべき価値観の必要性を同じように説いているわけです。個人個人がすべての人を愛さなければならないということを説いているのです。そこのことに全くなんの変わりもないわけです。

 

 ですから一人の人間として、存在していく上での必要とされる価値観、つまり人間が持つべき良き特質といわれる部分においては、すべての倫理感を統括したすべての土台となるようなものの考え方として捉えていけばいいと思います。基本的にはすべての宗教は同じことを説いていると、いえるのではないでしょうか。これが私の思う倫理感であり、ひとつの言葉でまとめるならば、『他の人たちに対する思いやり』ではないでしょうか」

 

私達にはこの世に生まれ落ちてすぐ、新生児の状態で私達を大切にケアし、育ててくれる母が存在します。その相手を母と認識する前の段階から、非常に肉体的なレベルにおいて、母という存在、父という存在に完璧に頼りきっています。父や母が私達のことを大切に慈しんで育ててくれることによって、他人からの愛というものを得て、幸せになれるのです。

 

 仏教で大事とされる愛であるとか慈悲とか、思いやりという言葉があります。サンスクリット語で「カヌーナ」といいます。これは私達人間にとって大変大切な要素となっています。これは頭で理解するものではありません。私達は愛や思いやりに完璧に依存している存在です。私達はこの世に生まれ落ちてすぐ、両親に大切にケアされますが、その存在が父であり、母である、と認識する前からそのぬくもりに頼りきっている。両親の胸に抱かれ、育まれることで新生児の私達は安心感を得ます。そして安らかな眠りに落ちることができます。私達は他人からの愛なしには生きられません。そしてそれによって幸せになれるのです。母という存在は妊娠期間中に、不愉快な思いや苦しいつわりなどさまざまな苦難に見舞われるわけですが、生まれてくる私達を大切な宝物のように扱ってくれます。そして生まれ落ちたその後も、2、3年の間は完璧に愛情を注ぐことだけに集中してくれます。これらの子どもに対するケアというのは他の動物には見られません。誰かから指図をされても決してできるものではないからです。そして母親は自ら望んで、喜んでその責任を全うしようとします。赤ん坊もそのような深い愛情に育まれて育つと、より愛情深い優しい人間になります。その後の人生も他の人に愛を注げる人間となります。

 

  しかし、新生児のときに母の愛を十分にうけることができないと、その後の人生に思いやりを持ちにくい人間になってしまいます。私達がなによりも必要としてるのは愛情、やさしさ、思いやりです。より多くの愛情を注がれた子どもはもっと多くの愛を注げる人間になります。人は愛がなれば生きていけない、人にとって愛情は必要不可欠です。

 

  私達人間は社会生活を営む動物で、一人では生きられません。自分の世界のほかに、他のメンバーの世界に依存しながら生きていくのですから、愛ややさしさ、思いやりは大きな要素になります。社会の一員として、他のメンバーを助けていかなくてはならないのですから。相互依存によって成り立っているのだから、協力して生きなければならない。そこで必要なのが愛や思いやりで、私達を結びつけ、お互いを協力させる大事な感情です。

 

 怒りや憎しみはお互いを排除させる感情。こういった悪い感情は必要ではありません。この世界には60億人の人間が住んでいるのですから、地球という大きな共同体のメンバーの一人として協力していかなくてはいけません。みんなが生き延びていくためにはお互いがお互いを大切にし、ケアすることが必要です。でなければ一人ひとりの生存も成立しなくなる。

 

そして、私達の幸せを考えてみると三つのことがあげられます。第一にやさしさや、思いやりといったよき心を育むこと。そして第二に人間同士の友好的な人間関係。よき友達を育むこと。そして第三に経済的なことが考えられます。このなかでもし一つだけ大事なものを選ぶとしたら、一体なにを選べばよいでしょう?

 

 愚かな人は「まずお金」と答えるでしょう。第一にあげたやさしさや思いやりがあれば第二、第三の要素もついてくるのです。だから賢い人間であるなら、第一の思いやりを選び、そうすればよき心によって良きことがなされるでしょう。やさしさや思いやりはすべての土台になっているのです。そういう心を持つことによって自分の心が健康にもなれ、良き友を得られます。自分自身の繁栄や栄華を求めるのであれば、他に対する思いやりをもつことが、最善の方法である。

 

こう話すと宗教を信心している人がなすべきことだと思う人がいるかもしれませんが、それは全く間違った認識です。愛や慈悲を育む修行というのは、他の人にとっては役立つことであっても、自分にはなんにもならないと思うかもしれません。それも間違いです。というのも愛や慈悲の心を自分のなかで持ったときから、自分自身が心の平和を得て、よい結果として見返りがやってくる。もっと自信をもって人間としての優しい心をより深めていってほしいと思います。そして心を育むためには教育が必要です。幼稚園から大学に至るまで、教育機関を通してやさしさや思いやりがいかに重要であるかを、教育者が教育を通してすべての子どもたちに伝えていってほしい。私が伝えたいことはそれだけです。

  评论这张
 
阅读(343)| 评论(0)
推荐 转载

历史上的今天

评论

<#--最新日志,群博日志--> <#--推荐日志--> <#--引用记录--> <#--博主推荐--> <#--随机阅读--> <#--首页推荐--> <#--历史上的今天--> <#--被推荐日志--> <#--上一篇,下一篇--> <#-- 热度 --> <#-- 网易新闻广告 --> <#--右边模块结构--> <#--评论模块结构--> <#--引用模块结构--> <#--博主发起的投票-->
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

页脚

网易公司版权所有 ©1997-2017