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成功日语--学习日语走向幸福人生

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日志

 
 
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我们在大阪和上海有公司,在日本和国内为大家提供教育咨询、日本投资咨询、商务考察、养老项目策划、建设及管理、人才培训等服务。

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5月12,13日予習   

2008-05-06 06:31:57|  分类: 同声传译练习 |  标签: |举报 |字号 订阅

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単騎、千里を走る

(第1回)幸せの力

 

皆さま、はじめまして。ソフトブレーン入社1年目の陳建と申します。こんな私でいいのかなと思いながら、メルマガにコラムを書かせていただくことになりました。

 

僭越ながら、まずは自己紹介から始めます。私が来日した日は、二人目の子供が生まれる10日間前でした。よく日本人の友達に「家族を置いて来て大変寂しいですよね」と聞かれます。正直、私にとって、「寂しい」という言葉には贅沢なイメージしか持っていませんでした。

 

出身地である福建省は宋代以降シルクロードの出発点として栄え、泉州・福州・厦門も海外の貿易で世界に知られる港になりました。外国に行くのは、切ないながら、当たり前なように感じていました。外資系企業との競争で負けて潰れた父親の食用油会社を復活させるという夢を持ち(今はもう、そんなの関係ねえ!)、日本の経営を勉強するため日本に留学を決意しました。

 

学費のためにマンションを売ることまで許してくれた家内は賃貸マンションに住むことになりました。妊娠している家内は空港に行く車までしか見送れませんでした。車が動いた時に、私は振り返ってみましたが、長女を抱いている家内は泣いていなかったです。2年後、きっと家族一緒に暮らせると約束しました。

 

2001年6月13日に、大きな荷物を持って上海経由で日本にやってきました。上海で国際線飛行機に乗り換える時、荷物が重量オーバーだと航空会社の人に言われ、仕方なく大好物の落花生と干しいかを荷物から抜き取り、その人にプレゼントしまいました。それでもテンションが下がることがなかったのは、日本に行けることに素直に喜んでいたからです。日本に行くため、半年ぐらいかかって、いろんな書類を作らされ、3回の面接を受けて、ようやく留学ビザを手に入れたのです。

 

日本に来た1日目の夜は、寝るところがないため、一緒に来日した友達と二人で神戸ハーバーランドの夜景を見ながら、将来の夢を語っていました。その頃は、7年後、7万人以上もの愛読者のいる宋さんのメルマガにコラムを書かせてもらえるとは、夢にも思いませんでした。

 

ソフトブレーンを知ったのは、日本に来て5年目、大学時代のアルバイト先で、お世話になっていたお客様に「宋文洲って人を知っているか?」と尋ねられたときです。そのときは、宋さんの名前を聞いたことはなかったですが、「絶対に君が衝撃を受ける人だ」と言われ、すぐに宋さんの書籍を買って読むことに。

そこに書かれていた考え方に心から共鳴し、「この会社にしか入りたくない!」と本気で思いました。もちろん就職活動では、説明会も面接もソフトブレーンしか受けませんでした。ソフトブレーンに入社できたことは私にとって人生の一大事だと感じました。

 

6年間頑張った結果、日本に来る前に家族と約束した一緒に暮らすことを実現できました。これでもう「幸せな暮らしを送りましたとさ、メデタシ、メデタシ」になるのではないかと思いました。昨年8月に二人の子供を日本に連れてきました。中国でずっとパパの枕を抱いて寝ていた娘の幸せそうな顔を見て、パパとしての満足感に浸りました。

 

しかし、2ヶ月も経たないうちに、予想外の事が起きました。1ヶ月目、日本の小学校に通った娘の学業をチェックすると、まったく進捗なし。学校からもらってきた教科書も中国の幼稚園レベルの絵本ばかり。これでは勉強にならないのではないかと思い、一週間かけて家族会議で民主表決をしました。

 

その結果は、2対2となりました。大人2票の意見に従い、二人の子供は中国に帰ることになりました。成田空港まで見送った私は、家に帰る電車の中で涙が止まりませんでした。子供たちに「あと3年間を待ってくれ!」と頼みました。

(日本小学校は4年生以降のレベルが高いと聞いたことがあります。)

 

私は、中国で数年間の仕事を経験し、来日してから、日本語学校に2年間と大学4年間の学業を終え、たくさんの遠回りをして、ようやく新入社員として、日本人の皆さんと同じ舞台で戦うことになりました。そして、もう一回人生の一大事にチャレンジしたい思いで、今は一営業マンとして一生懸命努力しています。この期間の悩み、悲しみと喜びをこの6回のコラムを通じて、皆さんと共有したいと思います。

 

 

 

 

第二回目 感謝は国境なし

 

 昔の日記を読み返すと、今までの人生で一番感謝したい人の中の7割は日本人であることに気づきました。

 

中国では、家族、親友以外に助けられたことは少なく、あったとしても、何らかの形で見返りを与える必要があります。相手もこの人なら、いつか見返りを与えてくれるだろうと見極めてから助けたりします。

 

逆に、日本では助けられたことが山ほどあります。そして、皆さんは見返りを求めているわけではありません。「学為人師、行為世範」(生徒に教えられる学問・知識を持ち、社会に模範とされる行為・品格を持つ優れた教師の事)の大学恩師、喜びと悲しみに共感してくれたアルバイト先の仲間、成長を見守ってくれた会社の先輩、応援し続けてくれた職場のお客様、学校に行けない中国の貧しい子供たちの報道を見て涙を流してくれた女の子、いつも人生のアドバイスをしてくださる病院の院長先生、いろいろな人に数え切れない御恩を頂いて、一生かけても返せないかもしれないと不安で一杯です。

 

来日したばかりの頃、日本人の友達を作ろうとしていませんでした。もちろん、作れるとも思いませんでした。その頃、中国人に対する親しみを感じている日本人はあまりいないのではないかと思っていたからです(内閣府の「外交に関する世論調査」で、中国に対する国民の親しみの程度は、1980年代までの7~8割から現在は3~4割と最悪の状態に落ち込みました)。

 

その頃、テレビでよく目にしたニュースは、在日中国人の犯罪報道です。在日外国人の殺人強盗等、極端な凶悪犯罪が、極めて重大な問題になっていました。このように情けない在日中国人の犯罪報道を見る度、学校やアルバイト先で顔を上げることができませんでした。周りの日本人に敬遠されるのではないかと感じていたからです。

 

そんな日本に来て2年目の誕生日の日に、アルバイト先(マッサージ店)のハトさんと彼女さんが、ケーキとアルバイト先皆さんのお祝いメッセージを持って家にやってきました。

ハトという名前は私が名付けたあだ名ですが、その由来はあるときハトさんに誘われて一緒に老人ホームでボランティアをすることになった時からです。ハトさんはお年寄りの方にマッサージをしながら、「♪ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ…」の童謡を歌い出したのです。それから私は彼を「ハトさん」と呼ぶようになりました。

 

このボランティアがきっかけになって、ハトさんと仲良くなることができ、また、その時の気持ち良さそうなお年寄りの顔を見て、人生初の無償労働で喜びを感じることもできました。中国の「食うか食われるか」の実利世界に慣れていた私にとって、不思議な感触でした。中華そばで誕生日を済まそうとした私は、ケーキを食べながら、初めて日本人の友達ができて、日本人に受け入れられたと実感しました。

 

ハトさんは国立大学を卒業し、人を助けたいという動機でマッサージの仕事を選びました。とても親切な方で、ウンチを踏んでもニコニコして「ありがとう」を言うような人です。私は常に感謝の気持ちを持つことをハトさんに教わりました。

 

「功成名就」は、多くの中国人の人生における最高かつ最終の目標になっています。私も例外ではありません。かつてはこのような哲学の信奉者でした。中国では、「人それぞれの生き甲斐がある」という考え方は通じません。地位とお金がなかったら、負け犬だと見なされる残酷な世界でした。「運が悪い、チャンスに恵まれていない」という文句も時々言うくせに、うまくいった時、自分が凄いと勘違いして、誰かに感謝しようとしていませんでした。

 

日本に滞在している7年間、私の最も大きな収穫は、お金や学歴ではなく、人として社会人としてどのような姿勢をとるべきかを知ったことです。また、国境を越えて友達を作るには、まず心の中の「××人は××だ」という「垣根」や「警戒心」や「ステレオタイプ」を捨て、ゼロからその人を認識し直すべきだと分かりました。

 

第三回目 日本企業での「水土不服」

『水土不服』というのは、その土地の水に体が合わず不調を訴えることです。今回のコラムは、私がソフトブレーンに入社してなかなか慣れずに十分に本来の力を発揮できないような気持ちになった経験をお話ししたいと思います。

入社前、日本語、日本商習慣などに不安がありましたが、「ビジネスの世界では金儲けのアイディアは国籍問わず共通である」ということを大学の教授から聞いたことがあり、日本に来る前に営業の仕事をしたことがあったので、即戦力になれるのではないかと思っていました。ところが現実は、最初の考え方がどれ程甘かったかということを思い知らされています。

まず、言葉の問題があります。今では15分でできる議事録がなぜ入社当時は3,4時間も掛かったのか、その非効率さは、今思い返しても恥ずかしいと思います。最初の頃は一つのお礼メールを書くだけでも30分ぐらい掛かっていました。チラシなどの宣伝資料を作れと言われるとき、キャッチコピーを考えるのは一番難しい作業でした。会議などの場では、日本語で自分の意思・アイディアが正しく伝わるかが心配で、笑われないように発言はできるだけ控えようとしていました。

その次の悩みは、日本流のコミュニケーションでした。ルールではなく習慣、規定ではなく「以心伝心」というコミュニケーション手法は私にとって至難な課題です。何をどこまでどのタイミングで聞けばいいのか、まったく自信がありませんでした。

最近のはやり言葉のKY(空気を読めない)もよく耳にしますが、自分でもKYになっていないかとドキドキしています。日本の「普通」や「当たり前」が分からない私は「あうんの呼吸」「場の空気を読む」「先輩の背中を見て学ぶ」を目指すために、実はかなり脳細胞を使っています。

もう一点は、『ホウレンソウ』の『ソウ』です。子供でもないのに、なぜ細かくまで一々相談しないといけないのが分かりませんでした。自分が信頼されていないのではないかと感じた時もあります。

皆様も「ガーシャへの手紙を届ける事ができる人」という話を聞いたことがあると思います。戦争の時、ローワンという人は大統領からガーシャへの書簡を早急に届けてほしいという指示を受けた際、ガーシャの所在はキューバの山岳のどこかにいるという情報しかもらえませんでした。しかし、彼は多く質問せず、信頼されて依頼された仕事を全知全能を傾けて主体的に遂行したのです。

日本に来る前に、私もローワンのように、期待にこたえ、一人で仕事をやり切れるカッコイイ「ガーシャへの手紙を届ける事ができる人」を目指していました。でも今の会社で、やはり一人で仕事をやるのは限界があり、チームで目標を達成するには『ホウレンソウ』が大事と思うようになりました。

ソフトブレーンに入社した頃、上司に相談したりチームで問題を共有したりするよりも、自分という個人でいかに上手に問題解決できるかのほうが重視しました。『ホウレンソウ』の習慣がないのは、自分が外国人だからと思いましたが、最近になって、日本人の新入社員でも入社1~2年目の頃に、先輩、上司から何度も言われる中で徐々に身に付けていたことが分かりました。やはり国籍ではなく、認識の問題だと改めて感じました。

以上お話しました悩みは私だけの悩みではなく、恐らく来日当時の宋さんや留学生の皆さんも感じたことがあるかもしれませんよね。ソフトブレーンに入社して2度目の桜を見ています。私の恥ずかしい経験談が、今年入社の1年目の社員にも参考にしてもらえるとうれしいです。

 

第三回目 私はなぜ商売人?

 

周りの人によく「陳さんは商売人ですね。」「君はやはり営業マンだなあ。」

と言われます。褒められているかどうかがよく分かりませんが、多分自分が中

国出身で、来日してずっと関西にいたからではないでしょうか。また、「中国

人であるあなたは、語学ハードルの高い営業職より、PG、SEなどの技術職、あ

るいは他の専門職に就いた方が良くないですか。」と言われることもあります。

今回のコラムでは、私がなぜ「商売人(営業職)」を選んだかと、外国人営業

マンならではの経験をご紹介したいと思います。

 

まず私が営業職を選んだ理由は、強い危機感があったからです。お金持ちにな

りたいことと、会社という組織に振られてもすぐ独立できるように、転職でき

るように、自営でもどこの企業にとっても絶対欠かせない、という理由から営

業職を選びました。ではなぜそんな危機感を持っているかを説明させていただ

きます。

 

中国では昔から、商売人、商業そのものが厳しく制限・抑制されてきました。

各時代の王朝は「重農軽商」という政策を取って来ました。商人の社会地位は、

「士、農、工、商」と呼ばれた通り、最下位でした。商人が中国の社会に認め

られたのは、1990年の初期です。トウ小平氏が改革開放政策を挙げてから、お金

持ちになるのは皆の夢となり、中国は「全民商売」「全民下海(公務員・国営

企業を辞めてリスクの高いビジネスの海に飛び込む)」のブームとなりました。

 

さらに、私が社会に入ろうとする時の90年代後半に、中国の国営企業は一気に

1000万人以上のリストラを行いました。私の親族の中で、多くの人は一晩で

「鉄飯碗」(終身雇用の仕事)がなくなり、それまで、保障されてきた住宅・

医療保険・子供の就職先(国営企業は仕事まで跡継ぎがOKでした)もいきなり

消えてしまいました。

 

この「全民商売」の時代に商売の誘惑に耐えられていた優秀な人たち(国営企

業に就職できた人はある程度優秀でした)も行き先がないので、仕方がなく商

売し始めました。この二つの時期でスタートした中国の商売人は、現在中国ビ

ジネス業界で最も活躍している人たちです。現在の中国人社員の独立志向が強

い・簡単に転職するという現象は、もしかしたら上記二つ歴史背景と関係があ

るのではないかと思います。

 

このような危機感は、しっかりした医療、労働などの制度に守られた日本人の

方には想像がつかないと思いますが、これが中国の現状です。しかし終身雇用

制度が薄れてきた現在の日本企業も、社員に対して「お前は一生会社を愛して

よ」ということも言えない時代になってきていると思います。

 

それから、外国人営業マンならではの経験を皆さんに話します。外国人の営業

マンは売れないだろうと思われる方もいるかもしれませんが、意外に客先に訪

問すると、「外国人の営業マンは少ないよね、よくやっているね。」と暖かく

対応してくれることも多いです。関西弁を喋っている変な中国人の私はアポ取

りの成功率が高いのも意外でしょう。

 

商売の本質は、「飽きない」を売ることです。商売の「商」の日本語の発音は

「あきない」です。「飽きない」には2つの意味があり、いつも同じもの、同

じサービスでも「飽きない」の「ブランド」と、いつも新しいから「飽きない」

の「継続的な革新(イノベーション)」があります。

 

弊社ソフトブレーン・ヒューマンも留学生採用支援・外国人従業員教育など新

しいから「飽きない」サービスを提供しています。日本で毎年卒業する留学生

は3万人もいます。その中の7割くらいが就職できず、帰国してしまいます。

帰国した留学生の中に、日本での就職ノウハウと情報が分からないから就職で

きない優秀な人もたくさんいます。

 

その留学生採用支援サービスで苦戦している時に、お客様に「留学生にチャン

スをください、彼らは必ず会社の期待を応えようとしますから。」とお願いし

たことがあります。事後の打合せで先輩に「今回受注できた勝因は陳くんがお

客様を感動させたから、さすが商売人だね」と言われました。2週間前に上司

と一緒に、雷門で「留学生にチャンスをください。」と祈りました。2人とも

日本中の神様は800万柱がいると信じ、神様にも営業してみました。

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