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意欲的な読者になるには 『本を読む本』M.J.アドラーC.V.ドーレン  

2010-11-15 20:30:00|  分类: 图书推介 |  标签: |举报 |字号 订阅

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作者特别强调了读书是一项需要积极思考的活动。

我们读书的目的是得到精神和心灵的成长,而对我们越是有益的书越是难读。

轻轻松松就能读完的大多是一些娱乐性的书。

对那些有益却难读的书,只读一遍是不够的,要反复阅读深入理解。即使读第一遍只能理解一部分,但是也会受益匪浅,进一步的深入阅读更加会给是我们得到精神的心灵的成长。

另外作者通过学习滑雪和学习阅读进行对比。同滑雪一样,阅读也是首先要学习分解动作,在掌握了各个要领之后,将分解动作连续起来变成自己的一种习惯。而不同之处在于,学习滑雪要注意的是自己的身体动作,而学习阅读要注意自己的精神活动。在日常我们很少真正注意自己的精神活动,常常不知道自己的意识或者潜意识在如何活动。

通过训练,大家都能够学会如何阅读。

下面的内容引自『本を読む本』

 

意欲的な読者になるには

本を読みながら眠ってしまうことなら誰にでもできる。床の中でゆっくりと楽な姿勢をとり、証明を少し暗くして、恐ろしく難解な本か恐ろしく退屈な本を手に取る。二、三分のうちに眠ってしまうことはうけ合いだ。中には夜の来るのを待つまでもないという人もいる。書斎に安楽いすが一つあれば、いつでもO.K、というわけである。

ところが、目をさめして読書をするとなると、そう簡単にはいかない。暗いろうそくの灯りで本を読んだ昔の読書家たちは、どうして目を覚ましていられたのだろうか。ただ一つはっきりしているのは、その本を読むということが彼らにとって大きな利益だった、ということである。

目を覚ましていられるかどうかは、読書の目的で決まる。読む目的が、精神や心を成長させるなど、そこから利益を得ることであれば、しっかり目を覚ましていなくてはだめだ。それは最も積極的な読書である。見返りを期待して努力することである。

フィクションだろうとノンフィクションだろうと、いい本は積極的に努力して読むだけの値打ちがある。いい本を睡眠薬の代わりにしてしまってはもったいない。有益な読書のために費やすつもりの時間をいたずらに眠って過ごしてしまったのでは、みずから志をくじいているようなものだ。

だが有益な読書、つまり理解のための読書と、娯楽、つまり、好奇心を満足させるだけの読書とをはっきり区別できる人でさえ、自分のたてた読書計画を達成できないことが多いのは残念なことだ。こういう失敗は意欲的な読者になる方法を知らないために起こるのである。その方法とは、読書によってしか得られない利益を得るために、読書に精神を集中することである。

 

積極的読書への四つの質問

積極的な読書についてはすでに述べた。しかし、まだ付け加えたいことがある。それは、一つの単純な約束事だが、これを言わないと問題の悪心をついたことにならない。「読んでいる間に質問をすること。その質問には、さらに読書を続けている間に、自分自身で回答するよう努力すること」。約束事とはこれである。

どんな質問でもよいというわけではない。第二レベル以上の読書の技術は、正しい質問を正しい順序でする習慣をつけることである。どんな本を読む場合でも、読者がしなくてはならない質問は、次の四つである。

一、全体として何に関する本か。

読者はその本の主要テーマを発見し、それを著者がどのようにしてさらに小さい基礎的なテーマやトピックに細分し、順序よく発展させているかを見なくてはならない。

二、何がどのように詳しく述べられているか。

  著者が伝えようとしている思考、主張、議論の要点を、読者は発見しようと努めなくてはなら

ない。

三、その本は全体として真実か、あるいはどの部分が真実か。

  はじめの二つの質問に答えてから出ないと、読者はこの質問に答えられない。何を言っているのかがまず分からなくては、それが真実かどうか決めることはできない。ある本を理解したときに、著者の精神を知るだけでなく、その本が果たして真実かどうかを判断するのは、真面目な読者の義務である。

四、それにはどんな意義があるのか。

その本が情報を与えてくれたら、その意義を問わなくてはならない。著者はなぜ、そういうことを知ることが大切だと思うのか。それを知ることは、読者にとって重要か。そしてまた、その本が情報を与えるだけでなく、読者を啓発してくれたのなら、その先でどんな示唆がされているかを追いかけて、さらに啓発されるよう努める必要がある。

 読書では、読み手の側から問いかけをし、これに自分で答えようとする努力がなくてはならないのである。このことをぜひ忘れないでほしい。意欲的な読者と、意欲的ない読者の相違が生まれるのもここなのだ。意欲的な読み手は問いかけをする。意欲的でない読み手は問いかけをしない――だから答えも得られない、ということになる。

 

本を自分のものにするには

本に問いかけながら進んでいく習慣が身についたら、一歩進んだ読者になったと言える。だが前にも言ったように、ただ問いかけるだけではなくて、それに答えなくてはいけない。心の中で質問したり回答したりすることもできなくはないが、手に鉛筆を持ってするほうが、実際はずっとやりやすい。鉛筆は読み手の精神の活発さのしるしとなる。

昔から「行間を読め」とよく言われる。読書の規則も、これを改まった言い方に直したものにほかならない。ここで「行間を読む」だけでなく、「行間に書く」ことをすすめたい。これをしないと、効果的な読書はのぞめない。

効果的な書き入れの工夫はいろいろある。いくつかの例をあげておこう。

一、傍線を引く。重要な箇所や、著者が強調している箇所に線を引く。

二、行のアタマの余白に横線を入れる。すでに傍線を施した箇所を強調するため、または、下線を引くには長すぎるとき。

三、☆印、※印、その他の印を余白につける。これは濫用してはならない。その本の中でいくつかの重要な記述を目立たせるために使う。

四、余白に数字を記入する。議論の展開につれて要点の移り変わりを示すため。

五、余白に他のページのナンバーを記入する。同じ本のほかの箇所で著者が同じ事を言っているとか、これと関連したり矛盾したことを言っているということを示すため、各所に散在する同じ種類の発想をまとめるためである。――を比較参照せよ、という意味でcf.を使う人も多い。

六、キー?ワードを○でかこむ。これは下線を引くのと大体同じ効果を持つ。

七、ページの余白に書入れをする。ある箇所を読んでいて思いついた質問や答えを記録するため、また複雑な議論を簡単な文にまとめるため、主要な論点の流れを追うために、これをする。裏表紙の見返しを使って、出てくる順番に要点をメモし、自分専用の索引を作ることもできる。

 

多くの規則から一つの習慣へ

読書はスキーに似ている。熟練した人がうまくやっているときには、いかにも優雅で調和のとれた活動である。初心者がやっていると、ぎこちなくつっかえがちで、のろのろしている。

スキーを習うことは大人にとってきわめて屈辱的な経験である。(若いうちにはじめる理由の一つはここにある)。なんと言っても、大人は歩くようになってからも長い。足がどこを踏んでいるかも知っているし、どこかへ行こうと思えば、片足ずつ交互に前に出さなくてはならないことぐらい分かっている。だが、いったんスキーというものをはいてしまうと。まるで「あんよは上手」をもう一度やり直さなくてはならないみたいだ。滑ったり、ころんだり、やっと起き上がったかと思うと、スキーがもつれてまたころんだり、いやはや散々である。

どんな優秀なコーチも、最初は何の助けにもならないように見える。コーチが簡単だと言ってやって見せる動作も、習う方は心の中で不可能だと思っている。やすやすとやって見せられると、返って侮辱されたように思う。コーチが覚えておくようにと言ったことも、とても全部は覚えていられるものではない。ひざを曲げて。前方を見て、体重は谷側のスキーにかける。背筋を伸ばして、しかも前方に身体を傾けて。あとからあとから際限もない指示を全部頭において、しかも滑ることなんかできるものだろうか?

スキーの要領は、緩やかなターンや連続的なターンをするための動作の一つ一つを、ばらばらに切り離して考えてはいけないということだ。そうでなくて、前方をしっかりと見つめ、コースの凹凸や、他のスキーヤーに気を配り、頬に当たる冷たい風を快く感じながら、流れるような滑降を楽しんでいればよいのだ。言い換えれば、すべての動作を一つのまとまりのあるものとしてするために、一つ一つの動作はすべて忘れてしまわなくてはならない。しかし、それらが別々の動作であることを忘れるためには、まずそれらの動作を別々に習わなくてはならないのだ。それからそれらの動作を連結してはじめて、上手なスキーヤーになれるのである。

読書の場合も同じことである。もう読書をするようになってから久しいのに、ここで改めて読書のしかたを習いなおすなど屈辱に等しい。しかし、まず別々の動作をうまくこなせるようになるまでは、それを結び付けて一つの調和した運動にはできない。という点では、スキーも読書も同じである。読書という一つの仕事の各部分が重なり融合しあって一つの動作になるまでにしなくてはならない。部分的な動作を一つ一つに注意を集中し、別々に練習してしまえば、あとはそれほど注意しなくてもすらすらできるようになるだけではなく、次第に全体としてなめらかな一つの動きにしてしまうことができるようになる。

このようなことはすべて、複雑な技術を学ぶ場合に共通の心得である。読書法を習うことも、スキーやタイプやテニスを習うのと、少なくとも同じくらい複雑なことであることを読者に知ってもらいたいために、こんな例を持ち出したのだ。何かを習うときにかつて経験した堪忍を思い出してもらえれば、これから読書についてしちめんどうな規則を並べてるコーチに対しても、いくらか寛容でいられるのではないだろうか。

規則が多いということは、身につけるべき習慣が、単一ではあるが、複雑だ、ということである。たくさんの習慣を身につけなければならない、ということではない。各動作がひとりでにできるような段階に達すれば、部分的な作業は重なり合い、全体として短縮されてしまう。すべての部分的な動作が多少ともひとりでにできるようになったとき、その活動全体が習慣として身についたのである。こうなれば、前にはとても難しくてできないと思っていた上級の読書やスキーに挑戦することを考えてもよい。はじめたばかりのときは、自分自身と、各動作のこなし方にばかり注意が向くものだ。やがて動作がばらばらでなく一つのまとまった動きとしてこなせるようになると、ついにゴールの方に目が向くようになる。ゴールには、これまでに習得した技術を駆使してはじめて到達できる。

上手な読書を学ぶのは骨が折れる。読書、ことに分析読書はスキーよりずっと複雑な活動――しかも精神活動である。スキーの初心者が意識すべきものは自分の肉体の動きである。それはあとになれば意識せずにひとりでにできるようになるものだ。肉体の動きを考え、意識することは比較的やさしい。精神の動きを考えるのはずっとむずかしい。しかし、分析読書の初心者が考えなければならないのは、この精神的活動である。それは、ある意味では自分自身の思考について考えることである。我々の大部分はそういうことになれていない。だが、それは誰にもできるし、それをしているうちに、ずっとよい読書のしかたをいやでも覚えてしまうのだ。

 

 

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